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死亡した桐島聡容疑者を書類送検、5か所の爆破事件に関与疑い…首都圏に潜み逃亡半世紀 - 読売新聞オンライン

 1970年代に起きた連続企業爆破事件で、警視庁公安部は27日、入院先で今年1月に死亡した過激派「東アジア反日武装戦線」メンバーの桐島聡容疑者(70)について、爆発物取締罰則違反と殺人未遂容疑で、容疑者死亡のまま東京地検に書類送検した。

 発表によると、桐島容疑者は仲間と共謀して75年2~4月、ゼネコン間組(現・安藤ハザマ)の本社や大宮工場、江戸川作業所のほか、東京・銀座の韓国産業経済研究所の計5か所の爆破事件に関与した疑い。

 公安部は、桐島容疑者が間組本社の事件では手製爆弾を運搬し、江戸川作業所の事件では自ら爆弾を仕掛けたとみている。五つの事件では計2人が重傷を負ったという。

 捜査関係者によると、桐島容疑者は「 内田洋うちだひろし 」の偽名で約40年間、神奈川県藤沢市の土木工事会社に住み込みで働いていた。今年1月上旬に胃がんで同県鎌倉市の病院に入院後、「最期は本名で迎えたい」と実名を明かしたが、4日後の同29日に死亡。親族とのDNA型鑑定などから、桐島容疑者本人と特定された。

 公安部の任意聴取には、指名手配容疑の韓国産業経済研究所の事件への関与を否定する一方、間組の事件については認めていたという。住み込みの前は川崎市で日雇い仕事をしていたとも話したといい、公安部は40年以上、神奈川県内に潜伏していたとみている。

 東アジア反日武装戦線は「反帝国主義」や「反植民地主義」を掲げ、海外進出する日本企業を標的にし、74~75年に12件の爆破事件に関与したとされる。主要メンバー8人は75年5月に逮捕されたが、桐島容疑者は逃亡を続けていた。

 逮捕後、77年に超法規的措置で釈放された大道寺あや子容疑者(75)ら2人が国外逃亡しており、公安部は捜査を継続する。

 なぜ半世紀にわたって逃亡生活を続けられたのか。

 公安部によると、過去に過激派メンバーが長期逃亡していた事件では、潜伏先や資金を提供する支援者から容疑者の存在が浮上し、逮捕につながるケースがあった。だが、桐島容疑者は警視庁に「ずっと1人だった」と説明。実際、支援者らは確認されていない。

 東アジア反日武装戦線は少人数で組織され、75年の一斉逮捕で自然消滅したとみられる。ある捜査幹部は「組織の支援を受けず、人口が多い首都圏に潜むことで、目立たずに過ごせたのではないか」と語る。

 約20年前から自宅近くのバーに通い、常連客から「ウッチー」の愛称で呼ばれた桐島容疑者。公安部の元捜査員は「人相も変わり、『もう捕まらない』と思っていたのだろう。本人が死亡直前に名乗り出るまで所在をつかめず、 忸怩じくじ たる思いだ」と唇をかんだ。

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